2002年11月1日、松井秀喜が笑顔なきメジャー挑戦会見で「裏切り者」発言 その真意を語る単独インタビューを全公開 . ゴジラ 松井 秀喜(まつい ひでき、1974年(昭和49年)6月12日 - )星稜高〜巨人(93〜02)〜メジャー(03〜12) 2002年成績 打率33-4 hr50本107打点 みんな知ってる平成を代表するスラッガー この年は得点圏打率が弱めかつ、前半はやや不振だったものの後半戦、特に夏から一気にホームランを連発 … そして今シーズン 2019 年も驚異的なペースでホームラン量産し、 2002 年以来となる 50 本への期待が高まっていっているが、 Powered by 引用をストックしました引用するにはまずログインしてください引用をストックできませんでした。再度お試しください限定公開記事のため引用できません。 2002年に松井秀喜氏が50本塁打達成以降、 誰もその領域にたどり着いたものはまだ現れていない。 2018 年には西部ライオンズの山川穂高選手がシーズン48本塁打と放ち、.
6月12日は、松井秀喜の46回目の誕生日だ。平成の大打者もアラフィフである。 5年ほど前に、筆者は明徳義塾高校の馬淵史郎監督に取材をしたことがある。「野球離れ」について聞いたのだが、馬淵さんは「ま、松井秀喜の時はいろいろあったんだよ」と自ら切り出した。1992年夏の甲子園での5敬遠について、相当聞かれたんだろうな――と思うとともに、松井秀喜という野球人が高校時代から巨大な存在だったことに今さらながら思い至った。 野球史で見ると、松井秀喜は「時代の転換点にいた大打者」だと言える。 このコラムでも何度か触れたが、1988年に東京ドームが開場して以降、日本プロ野球の本拠地球場は大型化する。これまで両翼90m中堅110mが標準だった日本のスタジアムは、MLBとほぼ同じ両翼100m、中堅120mがスタンダードになるのだ。 王貞治がハンク・アーロンの755本を抜く本塁打を打った時に、アメリカだけでなく日本のファンからも「球場の大きさが違うから、比較できない」という声が上がった。しかし1990年代中期には、球場の大きさという格差はほぼ解消した。 松井秀喜は1992年のドラフト1位で巨人に入団。彼がプレーしたのは、ほとんどがMLBと同サイズのスタジアムだった。昭和の時代にはよくあった100m以下のホームランはほぼ絶滅した時代にバットを振った。<1990年以降、シーズン50本塁打を打った打者> 60本 W.バレンティン(ヤ)2013年 55本 T.ローズ(近)2001年 55本 A.カブレラ(西)2002年 51本 T.ローズ(近)2003年 50本 松井秀喜(巨)2002年 50本 A.カブレラ(西)2003年 松井秀喜は球場が大型化して以降、50本塁打を打った唯一の日本人選手なのだ。これに続く日本人の記録は、2009年と'11年に西武の中村剛也が打った48本だ。 つまり松井秀喜は、外国人並みの長打力を持った初めての、そして今のところ唯一の日本人打者だと言える。 松井と旧来の日本人強打者との決定的な違いは体格だ。<1990年以前も含めた日本人の50本塁打者の体格>王貞治(50本以上3回、1964年55本塁打) 177cm79kg 落合博満(50本以上2回、1985年52本塁打) 178cm82kg 野村克也(1963年52本塁打) 175cm85kg 小鶴誠(1950年51本塁打) 176cm71kg 松井秀喜(2002年50本塁打) 186cm95kg 先輩強打者と比べても、松井秀喜がとびぬけて大型であることがわかる。 松井秀喜はメジャーリーガーに引けを取らない体格で、MLBと同じサイズの球場でホームランを打ったのだ。そういう意味では、松井秀喜が、MLBに挑戦するのは、必然的なことだったと言える。 MLBでの松井秀喜が、期待に応える活躍をしたのか、そうでなかったのかは意見が分かれるところだろう(もちろんワールドシリーズMVPを獲得するなどの活躍は見せているのだが)。 松井はNPB、MLBでともに10年プレーした。その成績は以下の通り。<NPB> 4572打数 1390安打 332本塁打 889打点 打率.304 長打率.582 <MLB> 4442打数 1253安打 175本塁打 760打点 打率.282 長打率.462 ほぼ同じ打数なので、比較しやすい。 松井はMLBに移籍して安打数は1割、本塁打数は半分弱、打点は15%減少した。本塁打数のわりに打点が減っていないのは、二塁打がNPB時代より若干増えている(245本→249本)など、本塁打にならないまでも好機で安打を打って、走者を返すことができていたからだ。 ただ松井は外国人選手並みに本塁打を打つパワーはあっても、レベルの高いMLBの投手相手に、NPB時代と同等のパフォーマンスを見せることはできなかったという見方もできよう。 しかし松井秀喜が2004年に記録した31本塁打は、今に至るも日本人打者の最多記録だ。<日本人MLB打者のシーズン本塁打5傑> 1.松井秀喜(2004年)31本 2.松井秀喜(2009年)28本 3.松井秀喜(2007年)25本 4.松井秀喜(2005年)23本 5.大谷翔平(2018年)22本※松井の所属はすべてヤンキース、大谷はエンゼルス<同シーズン打点5傑> 1.松井秀喜(2005年)116打点 2.松井秀喜(2004年)108打点 3.松井秀喜(2003年)106打点 4.松井秀喜(2007年)103打点 5.松井秀喜(2009年)90打点 日本人選手でシーズン20本以上打った打者は松井秀喜(5回)と大谷翔平だけ。90打点以上は松井秀喜だけ。 大谷翔平に期待はかかるが、いまのところスラッガーと言える日本人打者は松井秀喜ひとりなのだ。 記録を子細に眺めてみて、松井秀喜が素晴らしいと思うのは、三振数の少なさだ。21世紀以降は「三振は本塁打のコスト」という考え方が一般的になる中で、松井は10年間のMLBのキャリアで100三振以上は一度しかない。 特に2009年は28本塁打を打ちながら75三振。同僚のニック・スイッシャーは29本塁打で126三振だった。 パワーヒッター揃いのMLBに移っても、松井は本塁打を狙って振り回すことはしなかったのだ。NPBの10年間では934三振だったが、MLBの10年間では689三振と27%も減っている。レベルの高いリーグに移りながらも、松井の打撃は円熟味を増していたのだ。こういう数字を見ると「クレバーでいい打者だな」と思う。 そしてそれ以上に、松井秀喜は長年の野球ファンの「夢」を実現した選手でもある。“打撃の神様”川上哲治が活躍した時代、ファンは同世代のテッド・ウィリアムズやジョー・ディマジオとの競演を夢見た。王貞治、長嶋茂雄のONが活躍した時代は、ハンク・アーロンやウィリー・メイズとの競演を夢見た。 日米野球ではこれらの顔合わせは実現しているが、日本の野球ファンは日本で見るメジャー・リーガーが本気100%ではないことを知っていた。 しかし松井秀喜は、ヤンキースで同時代の最強打者、アレックス・ロドリゲスと中軸を組んだ。殿堂入りしたチーム・リーダーのデレク・ジーター、2000年のMVPジェイソン・ジアンビ、実に勝負強かったゲイリー・シェフィールドもチームメイトだった。そして彼らと真剣味100%の試合をした。 巨人時代、落合博満、清原和博、高橋由伸、阿部慎之助らと打線を組んだ松井秀喜が、ヤンキースではA-RODをはじめとするスーパースターの打線に連なった。まさに日本の野球ファンの夢を実現したのだ。 大谷翔平もアルバート・プホルスやマイク・トラウトなどMLB球史に残る大選手と打線を組んでいるが、これは本当にすごいことだと思う。 ここまでメジャーリーガー松井秀喜の価値をたたえておいて何だが、松井がNPBでずっとプレーをしていたら、どんな数字を残していたのか――というのも気になるところだ。この試算を独自で算出してみた。 まず試合数はMLBでの松井の試合出場率を出して、NPBの試合数で掛けて出場試合数を割り出す。松井は2006年5月、左翼守備中に左手首に大けがをして戦線離脱しているが、NPBでプレーしても負傷のリスクはある。そのため、この欠場も考慮して打数を試算。安打数はMLBでの安打の1割増しとした。 一方で本塁打数は前半の5年間はMLB移籍前5年の松井の本塁打率(0.0845)とし、後半5年はNPB通算10年の本塁打率(0.072)とした。打点はMLBでの打点率の2割増しとした。なお移籍などについては考慮していない。もちろんこの算出法には異論も多いかと思うが、数字は以下の通りになる。<1993年から2002年までの数字> 1268試合 4572打数 1390安打 332本塁打 889打点 打率.304<2003年から2012年までNPBに在籍したと仮定した推測値> 1090試合 3918打数 1215安打 311本塁打 804打点 打率.311<合計> 2358試合 8490打数 2605安打 643本塁打 1693打点 打率.307 安打数は張本勲、野村克也、王貞治に次ぐ史上4位、本塁打は王、野村に次ぐ3位、打点も王、野村に次ぐ3位。打率は歴代11位になる。 平成以降で現実の数字を見ると、金本知憲の2539安打476本塁打1521打点が最高だが、松井はこれをすべて上回る。 またタイトルで見てもキャリア後半10年でも本塁打王を3回獲得、通算タイトルは本塁打王6回、打点王3回、首位打者1回になるという計算だ。 巨人は、松井が移籍してから2013年まで5回のリーグ優勝を果たしているが、活躍次第ではMVPも実際の3回からさらに増える可能性もあるだろう。 王貞治や野村克也を「昭和の大打者」だとすれば、松井秀喜はそれに比肩しうる「平成の大打者」になっていたはずだ。 平成のNPB史上最強打者・松井秀喜も、それはそれで見たかった気もする。 NPBからMLBに行った打者は大谷翔平も含めて15人いるが、NPBに復帰することなくキャリアを終えたのは、現役の大谷を除けばイチローと松井秀喜だけだ。 この2人は、MLBの野球に適応して、完全燃焼したと言えるだろう。夢を成就したと言っても良いかもしれない。 今季、松井秀喜以来のスラッガータイプの打者である筒香嘉智がメジャーデビューする。MLBの開幕はまだいつになるかおぼつかないが、彼も完全燃焼してほしいものだ。Facebook で「いいね」を押すと、似たようなストーリーをご覧いただけますサイトの全体的な評価をお聞かせください:
2020年07月27日 (月)2020年07月07日 11時00分【球界平成裏面史(68) 松井FA後編】平成14年(2002年)11月1日午前10時、帝国ホテルの会見場はテレビカメラ20台、カメラマン50人、300人を超える記者が詰めかけた。ダークグレーのスーツに身を包んだ松井秀喜が姿を見せると無数のフラッシュが浴びせられた。表情は緊張して硬いというより、悲しそうに見えた。 松井は言葉を選びながら思いを吐き出した。「一緒に戦ってきたチームメートにも大変心苦しい思いでいっぱいです。僕のわがままを許してくれるか分かりませんが、決断した以上は命を懸けて頑張りたいと思っています」 質疑応答でファンへの思いを聞かれると「今は何を言っても裏切り者と思われるかもしれませんが」と衝撃の単語が飛び出した。常にファンを大事にしてきた松井らしいともいえるが、残留を説得されるなかで厳しい言葉を浴びせられたのではと想像した。 約40分で会見は終了したが松井は最後まで笑顔を見せなかった。なぜ、裏切り者という言葉を使ったのか。本心を聞きたかった記者は午後1時すぎにダメもとで松井の携帯にかけてみた。すると予想に反して「もしもし…」の声が。「アレっ」「アレじゃないでしょう。電話してきて」「まさか出てくれるとは思わなかったから」 本紙2日発行の1面で単独インタビューとして報じたが、松井の発言を全て掲載したわけではない。今回は全文を公開する。 ――電光石火の決断だった。なぜ、10月31日だったのか 松井:自分なりに早く決着をつけようと思っていた。(メジャーでやるという)結論は出ていたからね。ファンの人を結果的に裏切ったと思うけれど、ズルズル引き延ばすと球団に迷惑をかけることになるし、ケジメをつけたかった。 ――FA宣言してスッキリしたか 松井:スッキリはしていないよ。肩の荷が下りたというのはあるけれど(移籍球団が)決まったわけではないからね。ようやくスタートできるということ。スッキリするのは全部決まってからだね。 ――会見では表情が暗く、とうとう最後まで笑顔が見られなかったのは精神的に吹っ切れていないのでは 松井:そりゃ明るい表情はできないでしょう。もちろん(権利を)行使するのは悪いことではないけれど、みんな残留を期待していたわけだからね。 ――日本シリーズはノーアーチだったが、影響はあったのか 松井:それはない。日本一に集中していた。 ――(前日会った)長嶋さんの様子は 松井:何とも言えない寂しそうな表情で見ていてつらかった。 ――球団内からは日本一ムードに水を差したという冷たい声も出ているが… 松井:そう思われても仕方ない。「ここまで育てたのに恩知らず」という気持ちはあるでしょう。裏切り者に近いかもね。それはある程度、覚悟はしていた。 ――裏切り者は違うと思う。そういう雰囲気の中で優勝パレードや優勝パーティーに出席しにくい? 松井:まだ(球団から)何も話はない。イヤがる人もいるだろうね。やっぱりボクの顔を見たらいい気持ちはしないでしょう。出たいけど無理かもしれない。でも選手へのあいさつは納会もあるし…。 ――日米野球や出身地別東西対抗は出場するのか 松井:球団と連絡を取らないと分からない。巨人のユニホームを着て出るわけだから球団の了承が必要。そこで球団がどういう答えを出すかでしょう。「出ろ」と言われれば喜んで出ますよ。 ――自分の選んだ道を進むことはわがままではない。ファンも同じだと思う 松井:球団やファンの期待を裏切ったのだからわがままでしょう。やっぱり。 ――球団は難しいと言っていたが、将来、巨人に戻る可能性はあるか 松井:中途半端では(メジャーで)通用しないからね。将来的にはあるかもしれないし、ないかもしれない。ボクの気持ちより球団が許してくれることが前提。 ――例えば阪神は 松井:面白いけど、今は考えてないし、軽々しく言えることではない。 ――メジャーに行けば連続試合出場は難しくなるが 松井:それは残念だよ。こだわってきたわけだから。 ――目指すは日米の本塁打王か 松井の声は最後まで沈んでいた。 もっとも、松井が抱えた不安は杞憂だった。4日に銀座で行われた日本一パレードでは集まった40万人のファンから大声援を浴びた。巨人のユニホームを着た最後の行事となった23日の「ジャイアンツ・ファンフェスタ2002」ではイベント終了後、5万5000人の悲鳴のような大“マツイ”コールが東京ドームを包んだ。万感の思いで背番号55は海を渡った。 競馬評論家・古谷剛彦氏が、有力クラブの期待馬をピックアップ!25日の優勝戦は土屋南が4コースからコンマ04のトップスタートを決め、豪快まくりで初優勝を飾った!お笑い事務所「タイタン」×「東スポ」のコラボ!第62回は「日里ちゃんのおねだり浅草旅!!/居酒屋鳥椿編」2020年07月01日 11:002020年07月22日 14:002020年07月22日 14:002019年01月01日 11:052020年07月21日 06:15あなたも海外でプレーするチャンス!東日本最大規模のポーカー大会にぜひご参加ください出走メンバー、コメント、本紙の見解のコラムを掲載今だから明かせるマル秘エピソードを交えながら、その半生を振り返る〝ステイホーム〟を振り返る(全5回)伝説の名勝負はもちろん、歴史に残る事件をプレーバック!平成をザワつかせたオモシロ見出しとその解説をまとめた電子書籍が発売中グランプリ3人、準グランプリ1人、特別賞1人が誕生コンビニのマルチコピー機で中央競馬レース前日午後4時から発売中!第2、第3の人生を追跡!女子からヤング、ベテランまでレーサーの人柄を紹介。さらにアカデミーで舟券的中を目指す!カウントダウン形式で注目選手を紹介!18〜30歳(高卒以上)。仕事内容は編集局の補助で原稿運び、郵便仕分けなど。やる気のある方、上記をクリック!稼げる求人をいろいろそろえました全国どこでも気軽に応募誤字脱字のチェックなどの校閲業務。高卒以上で最低1年間は勤務可能な方、上記をクリック!注目のタグ ビートたけし本紙客員編集長が審査委員長の独自の映画賞!日本マット界の隆盛、発展を祈念し、東スポが制定したプロレス大賞です開催3場の全36レース(2場開催の場合は全24レース)の馬柱を完全掲載!東京スポーツCopyright(C) 2009 TOKYO-SPORTS, All Rights Reserved. パワプロ2020(ebaseballパワフルプロ野球2020)での松井 秀喜の選手能力データです。基礎能力や特殊能力などを確認できます。 'この機能のご利用には、Twitterでログインをお願いします。' : 'ログインはTwitterのアカウント連携で行います。'}}