スーパーまつかぜは、西日本旅客鉄道(jr西日本)が鳥取駅 - 米子駅・益田駅間で運行する山陰本線の特別急行列車である。 なお、 山陰地方 都市間を結んでいた 優等列車 の沿革についてもあわせて記載する。 「まつかぜ」に仲間入りを果たして「まつかぜ2号」を名乗ることとなりました。 なお、まつかぜ1号は、附属編成が鳥取折り返しとなりましたが、鳥取~大阪間は堂々の13両編成で運転されることになり風格と気品は抜群でした。 まつかぜ1号は全13両編成ですが、途中の鳥取で前6両を切り離して鳥取から先は7両と身軽になって博多を目指しますが、鳥取編成にも博多編成にもそれぞれグリーン車が1両づつ組まれており、何とも贅沢な編成 …
その名は「まつかぜ」 歴史を紐解くと、昭和36年のダイヤ改正で誕生、初日に最後尾車両が車軸焼けで切り離すという離れ業?をやってのけ。 昭和36年10月時刻表(復刻版から)福知山線 昭和36年10月時刻表(復刻版から)山陰本線 デアゴスティーニグループは1901年世界地図の普及を目的として設立された地理学研究所から発展してきました。以来100年、地図はもちろん新たな知の世界へ出発する道しるべとなる出版物を刊行して参りました。特にこのパートワーク出版においては全世界の50%以上ものシェアを占め、パートワークの開拓者として、またリーディングカンパニーとして、実績と信頼を集めています。 篠山口駅にすべての特急が停車するようになる。なお、この時期の列車編成はこちらとなる。 1985年(昭和60年)3月14日:ダイヤ改正(1985年3月14日国鉄ダイヤ改正)により、「まつかぜ」1・4号の博多駅発着が廃止され、米子駅発着に見直される。 katoニュース84号,96号にいくつか編成図が載ってましたので、それを真似て掲載していきます。 ・食堂車あり基本編成A(6連) つばさ(S36)、ひばり(S36)、まつかぜ(S36)、みどり(S36)、へい …
「まつかぜ」が登場する以前の山陰本線の優等列車は、東京〜浜田、大社間の急行「出雲」、京都〜米子間の準急「白兎」、京都〜大社間の「だいせん」(伯備線経由)が目ぼしいところで、その他は北近畿地区や鳥取〜島根県相互間などで気動車準急が細々と運転されているにすぎなかった。京都〜下関間や門司〜大阪間では1等車を連結した普通列車が健在で、特に大阪〜大社間の夜行717・718列車(現在の「だいせん」の前身)は1等寝台車まで連結されており、長距離の移動はまだまだ普通列車に依存していた時代でもあった。運転開始当初の「まつかぜ」のダイヤは、7D/京都7時30分→松江14時05分、8D/松江15時00分→京都21時35分で、京都〜福知山間は東海道本線・福知山線経由だった。当時は「まつかぜ」運用の80系が1本のみだったため、下り列車が55分で松江で折り返すダイヤとなっていた。当時の国鉄は地方線区に割ける予算が少なく、どこも少ないパイをやり繰りしながら日々の列車運行に努めていたが、このようなタイトな折返し運用は、まさにそういった事情を物語っていた。また、全線単線という山陰本線の条件は「サン・ロク・トオ」改正以前から変わりはなく、東海道本線のような劇的なスピードアップは望めなかったが、それでも全線の所要時間は6時間35分で、ほぼ同じコースを走る急行「三瓶」と比べると、大阪〜松江間で1時間以上も「まつかぜ」の方が速かった。「まつかぜ」の好調に気をよくした国鉄は、昭和38(1963)年10月1日改正で6両編成から7両編成に増強、さらに翌年3月20日改正では9両編成とし、運転区間を博多まで延長、九州乗入れを果たした。その当時のダイヤは、7D/京都7時30分→博多20時55分、8D/博多8時20分→京都21時35分で、全線の所要時間は13時間以上にもおよんだ。これは大阪〜青森間の特急「白鳥」に匹敵する長さで、「まつかぜ」は日本でも有数の長距離特急に成長した。かつては長大な非電化単線ローカル線といわれていた山陰本線も、昭和57(1982)年7月1日、ついに電化時代を迎えることになった。この日のダイヤ改正では、伯備線倉敷〜伯耆大山間と山陰本線伯耆大山〜知井宮(現・西出雲)間が電化開業し、岡山〜出雲市間の特急「やくも」が全列車381系特急型電車に置き換えられた。この結果、米子運転所配置の181系特急型気動車が向日町運転所へ転属し、「はまかぜ」2往復、「あさしお」4往復が181系に置き換えられた。これらと共通運用の「まつかぜ」は、大阪〜鳥取間1往復が181系に置き換えられ、「まつかぜ」は大阪、新大阪〜博多間の1往復のみが80系のまま残された。山陰本線から「まつかぜ」の名が消えて17年が経った平成15(2003)年10月1日、山陰本線鳥取〜米子間高速化工事が完成し、同線は本格的な高速化時代を迎えた。これにともない、鳥取〜米子〜益田間で運転されていた特急「スーパーくにびき」は「スーパーまつかぜ」に改称されることになり、「スーパー」の冠が付いたものの「まつかぜ」の愛称が復活した。※この記事は、週刊『鉄道データファイル』(デアゴスティーニ・ジャパン刊)を基に構成したものです。 従来の9両編成から43.10で12両編成となった「まつかぜ」。このあと、2往復に増強された47.3では「まつかぜ1・2号」が史上最大両数の13両編成となり、最盛期を迎えることとなる。 Copyright 今は廃止されてしまいましたが、かっては山陰本線をほぼ全線走破(正確には、京都~福知山間は東海道・福知山ですので、ほぼ全線ということにしておきます)する特急列車が走っていました。国鉄があった時代、blogランキングに参加しています。