米陀私自身はもともと無宗教でしたが、ふとしたことで仏教徒(かなりライト目)になりました。かねてより宗教については興味がありましたので、情報をまとめて発信しています。記事内容でお気づきのことなどありましたら、お気軽にご連絡ください。 Copyright© ワールドセクト , 2020 All Rights Reserved Powered by
信者の勧誘について引用元:https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/opinion/report/data/1999_13_1.pdfそのほか、勧誘をする上で、住居侵入罪や不退去罪に問われる行為をする可能性はありますが、基本的に【勧誘そのもの】は違法ではありません。 では、勧誘をしてくる人たちは、一体どんな特徴があるのでしょうか。だいたい彼らは2人組で行動しています。そしてなぜか高確率で中年の女性です。白もしくは黒っぽい洋服を着ており、表情は穏やかというか、ずっとニコニコしています。訪問の場合は、インターホンの押し方も妙に優しいので、意識をしていれば気付くでしょう。 さらに、インターホンで「どちらさまですか?」と聞いても、返答しない場合は、名乗れば玄関を開けてもらえない事が分かっているので、彼女たちは玄関を開けてもらうまで名乗りません。こういう時は玄関まで出ないに限りますが、もしうっかり出てしまったら…頑張って撃退しましょう! これを言っておけば、すぐに勧誘をやめてくれる、もう二度と勧誘されなくなるなんていうマジックワードは存在しません。けれど、なるべく早く撃退が出来る方法をご紹介いたします。これが一番無難かつ誰にでも出来る方法でしょう。「出来るだけ穏便に…」と思う気持ちはもちろん分かりますが、毅然とした態度が何よりも大切です。訪問でも、街中で声をかけられた場合でも、宗教の勧誘だと分かった時点で相手の話を遮ってでも、「自分には興味がないのでお帰りください(帰ります)」とはっきり伝えましょう。もし、立ち去ろうとするあなたの手を掴んだり、進路を妨害したりなどすると また、訪問の場合「せめて冊子だけでも置かせてください」と言われてもきっぱりと断りましょう。何も彼らも一度の訪問で入信するとは思っていません。何度も足を運んで信者を増やすのです。その際、まったく興味のなさそうな人を訪問するよりは、そのため、冊子を受け取ってしまうと、その後もしつこい勧誘にあってしまう事があります。一見簡単そうですが、実際は結構精神力が必要なので、難易度は★2つ。壊れたレコードのようにひたすら同じ言葉を繰り返しましょう。相手は10分と持たないで帰ります。 繰り返す言葉はなんでもOK。音楽が好きな人なら、「私は音楽の神のみ信じます」。お酒が好きなら「私は酒の神のみ信じます」。などでもOK! ポイントは言いやすさ。相手が立ち去るまでひたすら唱え続けなければなりませんので、難しい言葉よりも簡単な言葉がいいです。もちろん笑うのはNG。ひたすら本気で唱え続けましょう。これには、かなり話術と機転が必要とされるので、限られた人にしか出来ない方法です。訪問にせよ街中で声をかけられたにせよ、相手から近づいて来たのならこれはチャンスとばかりに、あなたも相手に【営業】をかけましょう。 家にある古いギターや自転車。ぬいぐるみや洋服など何でもいいので、相手に売りつけましょう。もちろん本当に売れる事なんてほとんどありませんが、売るつもりでどんなにこの商品がいいか、あなたに必要かをプレゼンしてください。そうすれば、相手も諦めて帰る事でしょう。 いかがでしたでしょうか。しつこい勧誘には、曖昧な態度をとってしまうと、後々自分が困る事になります。宗教は人がより良く生きていくためのひとつの手段ですが、だからと言って、他人の幸せを侵していい訳がありません。もちろん必要以上に警戒する必要は全くありませんが、自分の幸せは自分でしっかりと守りましょう! ちなみ、私の所にはエホバがしょっちゅう来るんですよね・・・遠目で見ても、「あ!エホバの人だ!」と分かる雰囲気。まぁ、相手にしなければ、そこまでしつこくは無いのが救いでしょうか・・・サイト運営者の米陀(よねだ)です米陀私自身はもともと無宗教でしたが、ふとしたことで仏教徒(かなりライト目)になりました。かねてより宗教については興味がありましたので、情報をまとめて発信しています。記事内容でお気づきのことなどありましたら、お気軽にご連絡ください。続きを見る続きを見る続きを見る 宗教への勧誘の断り方や撃退のコツについてご紹介しました。 宗教への勧誘はとにかくしつこいことから、自分自身が宗教には全く興味がないということ、また、宗教への勧誘は一切お断りであることを最後まで貫くことが大切です。 宗教の勧誘の断り方と勧誘されてわかった3つの事 投稿日:2017年4月13日 更新日: 2017年4月14日 僕は高校生の時に友達から宗教の勧誘をされました。 勧誘と聞いてまず思い浮かぶのは「宗教の勧誘」ではないでしょうか。街なかで、知人、友人からと誘われる場面があります。 そのような宗教勧誘の断り方を紹介します。 宗教勧誘を断る時のポイント 騙しやすそうなのか、それともそんなに信心深そうに見えるのか僕ほど宗教に勧誘された事がある奴も珍しいでしょう。 ここでは番外編として、他の勧誘時や上では紹介しきれなかった断り方の簡単な方法をご紹介します。 新宗教への勧誘を断る場合を、考えてみましょう。 わたしは、骨の髄まで伝統会派のキリスト者なので、全員が勧誘を諦めます。 宗教を中途半端に理解できる人が、宗教の勧誘に中途半端につきあい、結果として新宗教から逃れられなくなることが多いようです。 2020 All Rights Reserved. 僕は高校生の時に友達から宗教の勧誘をされました。その時は「俺は俺以外は何人たりとも信じないぜ」と言った中二病&「宗教の勧誘ってどうやるんだろ?」と言った興味のコンボで入信する気は全くないのに面白半分で話だけはちょこちょこ聞きに行ったりしてました。今考えるとせっかく熱心に勧誘してくれていた友人には申し訳なかったと少しは思っています。まあ結構しつこいしやり口も汚かったのでお互いさまだとも思っていますが(笑)今回はそんな僕の宗教に勧誘された経験とその際に学ん事についてです。目次僕が宗教の勧誘と出会ったのは、春も終わりを告げ梅雨が始まるほんの少し前でした。中学時代そこそこ仲の良かった友達Xからメールが来ました。このメールが僕と宗教の勧誘との最初の出会いでした。そんな事になるとも知らず旧友との再会に胸を特に躍らせることも無く待ち合わせの場所のマックに行きました。そこで見た光景は、友達二人と見たことないおっさんが何やらしゃべっている所でした。Aに呼ばれるままに席に着いた僕。ちょっと黙って様子を見ていました。どうやら友達Xもおっさんが何者かは知らない様子・・・「これは何となく嫌な予感がするぞ」って今なら思えるんですが、当時の僕は今以上にアホだっので、特になんとも思いませんでした。様子を見た結果「おっさん居るけど悪い人じゃなさそうだし。まいっか」くらいの気持ちでいたように記憶してます。ここから怒涛の展開です。マックでおしゃべりすると思っていたら、みたいなやり取りをして早々にマックを後にした僕と友達2人とおっさん。てっきり電車にでも乗るのかと思ったら、歩いていけるような場所に在るという事で徒歩で向かいました。ついた場所は、ただの雑居ビル!ここで能天気な僕もやばいって事に気づきましたね(笑)最初に頭によぎったのは、友達二人に嵌められたって事だったのですが、Xを見るとどうやら知らなかった様子。しぶしぶビルの中に入ってそこで見た光景は30帖位の畳の部屋で数珠と謎の経典を持って何かを祈る人達。某ジブリのキャッチコピー風に言うとまさに異次元、千と千尋の神隠し状態でした。軽くビルについての説明をされた後、数珠と謎の経典を与えられお祈り体験ツアーみたいな事をやらされました。体験ツアーを終えると、マックに一緒にいたおっさんから一通りその宗派の説明を受けましたが、全く興味が無かったので全く覚えていません。それから少し経ってやっと解放された僕とXは「宗教なんてやんないよね~」なんて話して別れました。これが僕と宗教の勧誘の初めての出会いです。その後も何度もデートのお誘いが来たので、僕は興味本位で気が向いたときに会ったりしてました。デートを繰り返していて分かったことはってことです。これら3点を考察していきたいと思います。僕が宗教に勧誘されるときは決まって友人Aと年長者が居ました。大学生くらいのお兄さんと友人Aの組み合わせが多かったです。今思い返すと、宗教の勧誘を釣りに例えると、魚は僕で、エサは友達、釣り上げるのは大学生のお兄さん、と役割分担されていました。もちろん釣られた後の出荷先は例の雑居ビルだったのでしょう(笑)1対2の交渉に効果があるのかどうかは知りませんが、宗教勧誘と言うある意味特殊な状況下においては気の弱い人はビビって入りますとか言ってしまいそうなので効果的な気もします。宗教によっては経典で二人で勧誘は行う事ってされている所もあるそうです。僕は「高校生はまだまだ子供だし、ちょっと年上の人間が話してやればいれば簡単に堕ちるだろ」みたいな雰囲気が大学生の兄ちゃんから感じとってムカついてましたね(笑)相手がそんな風に思ってたのかは分かりませんが僕はそう思っていました。これは何回かデートを重ねていて気付きました。ファミレスやマックで大体会うのですが必ず先に相手方が来ています。それで何故か奥の席に案内されます。それも巧みに手前の席に一人座って、隣の席には荷物を置いてるんですね。角の席って場合が殆どでした。こんな感じの席順でした。話を聞くのが嫌になって席を立とうとしても、友達がブロックしてくるので出れません。回って出ようにも隣は壁なのでそれも出来ません。5回くらいデートを重ねたのですが、この席順は変わりませんでした。当時から推理小説が好きで、僕の中の探偵スイッチが入ると急に観察力とかが上がるんですよね。当時も探偵気取りでこいつらの目的はなんだ?(勧誘以外にはなんもないですよね)ってのと「この俺様を本気で勧誘出来んのか?舐めんなよ!」みたいに思ってずっと彼らの事を観察してました(笑)黒歴史です。これってかなりあくどい手口ですよね。きっと逃げられることも多いからこのような事をするようになったのでしょう。この時点でこの宗教の底が知れた気がします。ほんとうに人の為を思って勧誘しているのなら、こんな小細工はしないはずです。少なくとこのやり方に気づいた方はいい気分はしません。これが一番宗教勧誘を断るうえで厄介な事です。間違いなく彼らを論破することは不可能です。彼らには経典と言った最強の武器があります。もちろんこの経典を信じる事は悪いことではないし、それで人生が幸せに過ごせるのならばそれは素晴らしい事だと思います。僕の経験からなぜ論破が不可能なのかを解説していきます。世間話を少しした後。毎回のようにする話です。大学生のお兄さん(以下 大)「君にとっての幸せは?」僕「お金持ちになる事です」大「お金持ちになる方法って知ってる?どうすればいいかちゃんとわかってるの?僕「ちゃんとはわかりません・・・」大「株とかいい会社に勤める事とかいろいろあるけど、これって結構大変な事なんだよ?」僕「そうなんですか。」大「そうだよ!凄い大変なの。たくさん勉強しなきゃいけないし(的な一般論を延々と・・・)」僕「それは大変そうですね」大「大変なのはわかってくれたよね?でも、もしこれが簡単に出来る方法があるとしたらやってみたいとは思わない?」僕「まあ、そんな方法があればやってもいいかな(宗教以外ならね)」大「僕たちがやっている方法があるんだけど試してみない?決められた時間に決められたことをするだけでいいんだよ?簡単だと思わない?」僕「確かにそうですね。どうやるんですか?」大「毎日お祈りをすればいいんだよ」僕「祈ったらお金が降ってくるんですか?」大「そういう訳じゃないけど、祈る事で幸せになれるんだよ!君は幸せになる為にお金が欲しいといったよね?って事はお金持ちでなくても幸せになれればいいんだよね?」僕「(そもそも幸せについて聞いてきたのそっちじゃん)なんか話変わってないですか?」(都合の悪い事は悉くスルーでした。)友達A「俺も祈ったら受験受かったよ!俺の成績じゃ○○高校に受かるのは難しいのはお前も知ってたよね?」僕「そうだっけ?(知るかボケ)」大「A君の様に幸せになるには、僕たちがやっているように祈ったりすればいいんだよ。だから君もやってみようよ!」僕「嫌です」こんな感じのやり取りを延々と繰り返します(笑)この宗教の最終到達点が個人の幸せなのかは分かりませんが、僕を勧誘してた人達はこぞって「幸せ」って言葉を多用していました。「永遠の命」「家族の健康」等いろいろ言ってみましたが、結局は「幸せ」だよねで片づけられてしまいました。そこからは「僕らの幸せはこうだから君もこうすれば僕らのように幸せになれるよって」おきまりの話になりました。個別具体的な事は避けて、「幸せ」など言った抽象的な事に話題をもって行きたがっていました。僕の例で考えると、幸せってそもそも人によって違いますよね?幸せになる為の方法も人それぞれですよね?幸せの答えは人によって違うしその方法も千差万別なはずですが、他の事をしていては幸せになれないし、われわれの教えを守らないといつかバチが当たるぞとも言われました。天災やなんかを持ち出して説明された記憶があります。僕を勧誘していた大学生もそのような凝り固まった考え方の持ち主でした。そんな感じの人から出てくる言葉は「宗教の教えを守っていて幸せだから、あなたも守れば幸せになれるよ。」です。そんな訳で勧誘中に難色を示すと「やってないんだからやればいいじゃん」って事になるんです。それでも拒否していると「やってないのに否定するのはおかしくない?」って怒気を含んだ論調になっていきます。結局話の次元が「やる」「やらない」と言った個人の選択と言ったところまで来ます。ここで「やりません」「はい、わかりました。残念です。」で終わればいいのですが、ほとんどの場合終わりませんよね(笑)僕と勧誘者の会話のような事が話題を変えて繰り返されるだけです。「やってないからやれ」を論破するには「やってみる」しかありません。このような事情から勧誘される側は彼らを論破することは不可能なのです。ちなみにやりたくない理由を延々と説明しても彼らは「体験してみなきゃ分からない」としか最終的には言わなくなります。どう頑張ってもこうなります。正直かなりうざかったです(笑)まあ興味本位で何度も会いに行ってるんで僕の場合は自己責任ですが(笑)僕がこの経験を振り返って今になって分かったことは、当時は全然わかっていなくて論破してやろうと頑張りましたが、これは断るといった視点で見たら良くない事でしたね(笑)まあ、当時の僕の場合面白半分にやっていたので早く終わらせるって目的はなかったですが・・・早く断りたい時は、なんかしゃべると相手がそれに合わせて「あーだこうだ」言ってくるので徹底的に相手の話を聞いていればよかったんだと思います。こっちの情報を必要以上に出さなければ、あっちも「あーだこうだ」言えなかったはずです。やりたくない理由をしゃべる事で、相手の話を無駄に長引かせるだけでなく、説得できるかもっていう期待を持たせてしまっていたんだと思います。加えてこの方法は宗教に限らず色々な事に応用できると思います。今回の記事は以上になります。最後までお付き合いくださりありがとうございます。 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